先日漫画家の鳥山明先生がお亡くなりになったというニュースがありました。
気持ちの整理としてもこちらに書いておきたいと思います。
ボクは今でこそ「カフェちゃん」というつよかわ(?)キャラを描いていますが子供の頃はドラゴンボール一色の絵を描いてました。
何年も同じ絵を描いてるので母が心配になるほどで
漫画家になろうと決めたのもこの時です。
将来は絶対格闘マンガを描く、ドラゴンボールみたいなマンガを描く
という少年でした。おそらくこのような少年は山ほどいたと思います。
中学に上がってもまだマンガ家になると言ってたポルリン少年は
段々現実に直面します。
「ドラゴンボールだけ描いてちゃマンガ家にはなれない」
「もっと色々なものを勉強しなきゃ」
絵を描いていたと言っても実は上手い方ではありませんでした。ごく普通の漫画家に憧れる子供です。
なので周りの大人は知っていたんでしょう。
ドラゴンボールとは天才鳥山明が作ったものであってそれを描いて憧れているだけではマンガ家にはなれない。
それを理解するまでに長い年月がかかりました。
何故そこまでドラゴンボールに魅了されたのか
それはわかりやすさにあったと思います。
絵を描いている人ならわかると思うのですが、
線の簡略化と魅せ方が圧倒的に上手で子供が真似しやすかった。
しかし構図だったり空間把握だったり手の表現だったりは真似出来ない
だから真似と憧れが同居したんだと思います。
絵を学ぶ度に思いしらされました。
そしてある時気付きます。
自分は鳥山明にはなれない。
当たり前のことですが子供の憧れというのは中々とれるものではありません。それをはっきりと理解した上手さになった時、ドラゴンボールの真似をやめて自分の絵柄を考え始め、色んな勉強もはじめました。
そして鳥山先生の凄いところはゲームでも活躍されていたことです。
誰もがご存じのドラゴンクエスト、これでゲームの面白さを知り
ゲーム業界に興味を持ち、就職するまでに至りました。
鳥山先生の作品がしっかりと少年の心をエンタメ業界に釘付けにしてくれたお陰で自分も今絵を描いて皆と共に楽しめています。
自分の絵柄を見つけるために描くのを辞めたドラゴンボール
でも大好きだったドラゴンボール
何十年かぶりに描きました。
あの時のドキドキをありがとうございます。
心からご冥福をお祈りいたします。
界王様とダジャレの言いあいをして楽しんで下さい。
あ、まだ蛇の道かな
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